BodyTalk

CBP(BodyTalk施術士)になるまで②

ボディートーク施術士になるまで②

前回まで「おばあちゃんが旅立つまでの物語」を書きました。

読んでCBP(BodyTalk施術士)になるまで①

BodyTalk 施術士になるまで① なぜボディートークに出会ったの? なぜ施術士になろうと思ったの ...

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この出来事が自分の職業選択に大きな影響を与えたのです。

クライアントさまのサポートをする
そして時には旅立ちの準備をする

「本当にその仕事ができるの?」

職業を目の当たりにするって大切です。

それまでなりたいと思ってた看護師さん。
憧れだけでやっていける職業ではありません。

結局覚悟が決まらず、でも諦めることができず・・看護師さんになることは第2志望へと変わりました。

7. 進路決定

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帽子はすでに大人サイズの幼少期

医療系のスポーツトレーナーになるか

体育系からスポーツトレーナーになるか

看護師さんになる選択が消極的になったので必然的に体育系からスポーツトレーナーになることにしました。これで第一志望の進路決定です。それまでちょっといい大学に入りたかったためそこそこお勉強してました。

しかし、体育系を本格的に受験するのであれば違う準備もしないといけません。当たり前ですが体育系に進むくらいの人ってスポーツ万能&体力アリって当たり前なんですよね。

これまたそこそこしか運動神経がなかった私は、勉強するよりも、走って、走って、バスケしての毎日。周りからみたら遊んでる受験生です(笑)そして、スポーツ系の大学に合格しました。

合格したのが第一志望大学ではなかったので、浪人するか、はたまた看護系へ行くか、かなり悩みましたが結局スポーツ系の大学に入学しました。

幼稚園に入る前から「○○がやりたい!」「○○がいい!」など意思がはっきりしている子供だったそうです。

今思い返せば、それが養われた(と思われる)出来事があります。実家で過ごした18歳まで毎朝行われていたことです。

母親が私を起こしに来た時、目が覚めたか覚めてないかくらいの寝ぼけてる私にいつもこの質問していました。

以下、ある日のやり取り。

母)「朝ごはんはパン?ゴハン?」
私)「ゴハン」

母)「おむすび?お茶碗?」
私)「おむすび」

母)「白いおむすびと?」
私)「しゃけ」

母)「玉子は?」
私)「目玉焼き」

母)「固め?半熟?」
私)「半熟」

母)「早く起きなさいよ」
私 「ZZZZZZ」

これが毎朝行われてました。

決まればあとはスープやお味噌汁、焼き魚やウインナーなど合わせた朝食が出てくるという..今考えたらかなりのVIP待遇ですね。もちろん家族は私だけではないので、全員にそれをしてたようです。そりゃ、料理上手だわ。

なので、「何か判断する時はサクッと決める」「自分の意思をはっきりと伝える」という私が出来あがったのでしょうね。

ちなみに、前回まで出てきたおばあちゃんからも同じ特訓をうけてました。

お正月の朝。

ババ)「おもち何個?」
ババ)「あんこ餅は食べる?」

という質問攻めから1年がスタートしていました。

8. ハードな大学時代

コストコ彷徨い中・・

大学時代は、スポーツ漬けの毎日でした。講義で動き、部活で走り、バイトで泳ぐ。とてもハードな生活です(笑)ハードでしたが楽しい日々でした。

部活は、陸上部。今の大学では当たり前だとおもいますが当時ではまだなかなかいなかった「治療ができる専属トレーナー」が在籍していました。もちろん学生です。ダブルスクールで鍼灸の資格を取得し活動されていました。

まさに私がなりたい職業「医療からのサポートもできるスポーツトレーナー」を目の当たりにしたのです。

ものすごく勉強されていました。何を聞いても知っている、とても信頼できるトレーナーさん。そんなトレーナーさんになりたいなと当時強く思ったのを覚えています。

その陸上部は2年生で辞めその後はバスケサークルに所属。そこから時間ができ名古屋のスポーツクラブでトレーナーの勉強をさせて頂くようになりました。

 

大学時代は1人暮らしをしていました。初めての1人暮らし、めちゃめちゃ自由を桜花しました。ただ、それまでしてこなかった痛い社会経験も色々としました。

・新聞屋に騙される(←気がついてすぐ交渉、全額取り返す)
・のぞきにあう(←即警察連絡、犯人つかまる)
・自転車盗まれる(←自分で見つけて取り返す)
・バイク盗まれる(←これだけ取られたまま!!くやしーー)

女子大、スポーツ系、ということもあり、結構たくましく生きてきました。高校生までの神経質な性格からガラッと変わったのがこの大学時代だった気がします。。。

 

9_入社1年目(広島)

ブログ用の写真を必死で撮り溜めてます

無事大学を卒業しスポーツクラブに就職、愛知県から最初の配属地、広島へ引っ越しました。

これまた大学時代と同じように身体を動かすことが仕事のような職種なのでとにかく動きまくりの毎日です。

業務はもちろんのこと、トレーナーとしての知識をガンガンに詰め込まれました。今考えたらとてもありがたい環境です。

が、当時は感謝の気持ち全くなし笑

教育担当の先輩に不平不満をぶちまけ、なんども「やめたい!」と口にした覚えがあります。

その研修期間にがっつりと体調を壊したことがありました。

気持ち悪い。。フラフラする。。
でも、仕事は休むことなく出勤しました。

このことが、30歳の時に初めて受けたボディートークででてくる内容となったのです。

 

最初の勤務地広島は、プロスポーツ選手・実業団選手がご利用されていました。どこまで書いて良いかわからないのでどんな種目の選手がお越しになったか文章からご想像ください。

・太もも60センチの選手
・真っ黒に焼けた選手
・身長2mを超える選手

などなど。一度だけ「電撃爆破」で有名なあの人も来られたことがありましたね。

当時あまりスポーツ選手を知らなかった私は「日差しで真っ黒に焼けた選手」にとっても失礼な対応をしたことがありました。この選手の方、チームではなく個人的にご利用者されていたので私は「一般人」だと思ってました。

他の会員様と同じようにその方にもお声がけをしていました。いつも同じブランドの違うウエアを着て来られていたのである日そのことをネタに話しかけました。

私)「スポーツされてるんですか?」
選手)「はい、ちょっとだけしてます」

そのあとも何かしらやりとりしてその場を立ち去りました。その会話を聞いていた先輩にから裏によびだされました。

先輩)「あんたあの人誰か知ってる??」
私)「いえ知りません」

先輩)「(ある競技の)日本代表選手よ!!」
私)「えーーーーーー!!」

その後、謝りにいきました。

なんとも心の広い方、笑顔で対応してくださいました。

その後、その方が引退するまで全力で応援したのは言うまでもありません。。

10_転勤、転勤、また転勤

もはや今とほとんど顔形変わりません。なんとも意志が強そうな幼稚園児です(笑)

体調不良がありつつも勤務を続けていましたが若いといえどもやはり無理は続きません。ある時具合が悪すぎて会社を休むことに。幼いころ皆勤賞を狙うような子供だったので「休む」ということに対してものすごい罪悪感がありました。しかし、出勤することで周りに迷惑を掛けることも事実。

思い切って2日ほど休ませてもらいました。

その後、無事体調復活。
通常業務の日々に戻りました。

夏が過ぎ、秋が来て冬を越して2度目の夏が終わったころ。
大阪へ異動となりました。

この大阪時代はものすごーーーーく働きました。めちゃめちゃ働きました。自宅には寝に帰る程度。今じゃ、色々な意味でできない働き方ですね。いい想い出です(笑)そ

して、大阪、神戸、福岡と異動が続き2008年に東京へと引っ越してきました。

広島 → 大阪 → 福岡 → 大阪 → 神戸 → 大阪 → 東京 と、転勤しました。転勤はみんなと離れるので寂しい気持ちもありましたが、新しい土地に行くことは毎回とても楽しみでした。いつしか「異動したら次いつ転勤するかわからないしとりあえずその土地の名所は回っておこう!」と るるぶ を買うようになりました。

11_現場を離れ本社勤務に

関東に引っ越ししてきたのと同時に本社勤務となりました。

今まで現場でトレーニング指導をしていたのがパソコンパチパチするOLさんに。全く異業種に転職した気分。

今まで学生さんなど若いスタッフに囲まれていたのが本社では先輩たちばかり。そのギャップに慣れるまで随分時間がかかりました。

そして、それまで一緒に働いてきた仲間との「違い」にも悩まされました。

ごくごく一部の人ですが・・・・

信頼して心を開いていいのか
一線おいたほうがいいのか
疑わなければならない人が
周囲にいました。

よくある話しかもしれませんね。

その一部に人に不信感を抱きつつも業務も忙しく毎日があっという間に過ぎていきました。

誤解のないようにお伝えしますが在籍していた会社はとてもいい会社です。

人として魅力がある方のほうが圧倒的に多かったです。それまでの勤務地ではそのようなことに悩まされることが無く楽しく過ごしていました。関東にきてごく一部の人間に振り回された結果人間不信になりそうだった、ということです。

12_下がらない熱

本社業務に慣れてきたころ業務がさらに増え抱えきれないくらいの仕事量に膨れ上がっていました。

そしてスタッフ同士の人間関係問題も勃発。

PC開ければ未開封のメールが山盛り、携帯には鬼のような留守電の数。

人生で一番悩みが多い時期だったと思います。
四六時中ずっと仕事関係の事で頭がいっぱいでした。

そんな時となりの部署の部長から
こんなことを言われました。

「体調大丈夫か?」

実は、体調も最悪でした。

微熱がずっと続いてたのにも関わらず休むことに対してネガティブだっため一度も休むことなく仕事を続けていました。病院に行くことを勧められましたが何となく乗り気じゃなかった私。

それならば他部署に面白い施術をしてるスタッフがいるから受けてみたら?

と、言われちょっと受けてみることにしました。

それが、ボディートークだったのです。

 

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