第三者的に、俯瞰してみると『あー、それ執着だね』と判断できるけど、こと自分に関しては難しい・・。
先日、通勤で使っている自転車を買い換えました。前回購入日を調べてみると、自転車の防犯登録も抹消される期間乗っていたっぽい。よく頑張ってくれました。
途中何度も買い替えを検討しました。でも、色が好きだったのと修理をしながら乗っていた分愛着が湧いてなかなか手放せず。
それとチェーンが外れても乗りながら直すというよくわからない特技を習得してしまい、大きな不自由を感じることなく過ごしていました。
とある朝、自転車に乗ろうしたらコントのようにチェーンと部品が外れてしまいました。
『もう限界チャリ!』と自転車から悲鳴が聞こえてきそうな姿を見て新しいのを買うことにしました。後ろ髪引かれる思いを抱きつつ旧自転車を粗大ごみに出し、2日後には新自転車がやってきました。
乗ってみると『え?自転車ってこんなに静かだったけ?』『チェーンが外れないなんてすごい!』など、良いことだらけ。
快適に進んでいる時に、ふと頭に浮かんできたのが、
あれ?愛着じゃなくて執着だった?
「執着(しゅうちゃく)」
何かに強くこだわり、手放したくない、離れたくないという強い欲望や執念を指す。しばしばその対象に対して執拗に心が囚われてしまう。物事や人、状況などに対して過度に依存したり、固執したりする感情。執着は、しばしば不安や恐れ、満たされない欲求から来ることが多く、精神的には重荷となる。執着を手放すことが、心の自由や平穏を得るためには大切だと考えられている。
店主の自転車を見た人は『なんでこの人自転車買い替えないんだろう・・』と思われていたはず。そのくらいボロボロになるまで乗っていました。
色が好きだし、修理して愛着を感じていたのは事実です。
しかし単純に自転車は前に進めば良いと思っていたので「これ好き!手放したくない」はありませんでした。
じゃ、執着と違うかー
でも、新しい自転車に乗ったら心が軽くなった気がしました。
やっぱ、執着でしょ
執着は不安や恐れを伴い、愛着は安心感や安らぎを感じる。
脳内会議の結果、執着だったと結論が出ました。
きっと自転車以外にも今回のように『気が付かないから快適と思っていること』が、無自覚であるんだろうなーと感じます。
皆さんはどうですか?
これからもより最適解を探しつつ過ごそうとおもった店主でした。