今回の旅の目的は「食べる」だけではありません。
こちらもCHECK
-
店主の韓国日記 ~食べ物編~
満月(8/8)お休みを頂き朝出発で2泊3日の旅行に行ってきました。 なんとなく色々と心配で今までLC ...
続きを見る
もうひとつ別の目的で行ってきました。
DMZ(非武装中立地帯)へ行く
闇ルートで行くとかそんなのではありませんよ(笑)
日本の旅行会社が普通に企画しているツアーですが、何かと心配しすぎる家族には行くことを告げず。
でも、誰にも言わずに行くものなと思い地元同級生 大橋さん に・・・

と、伝えておきました。でも、伝えられたほうは何の事だかって感じですよね。DMZツアーに申し込みをしたものの内容はほとんどわかってなく。。申し込んでから少しだけ調べました。
DMZ・・ 非武装地帯(demilitarized zone)。
戦争・紛争状態あるいは停戦状態にある2つ以上の国家(または軍事勢力・同盟)の間に、平和条約・休戦協定などによって設けられる、軍事活動が許されない地域のことである。多くは、事実上の国境である停戦ライン(軍事境界線)の周辺に設けられる。
非武装中立地帯というのは軍事活動が許されてない地域のこと。朝鮮半島以外にも世界にはいくつかあるそうです。
事前に調べたのはこれだけ。
あと店主の知識としては、学生の時に習ったことや、最近報道されていることくらいの情報で行きました。
ホテルに来たお迎えの車に乗り出発。
今回のガイドさん。
日本語がかなり上手でこちらが言ってることも全て理解してくれました。そして、日本の色々な話題になってる政治的な問題(このハゲ―発言も含む)を熟知されていました。
日本人4人+オーストラリア人+韓国人ガイドさんの合計6人で最初の目的地へ車を走らせます。
検問所までの道のり
北朝鮮と繋がってる川沿いの道を走りながら
・今日行く場所について
・38度線について
・DMZとはどんなエリアなのか
など沢山のことを説明してくださいました。
38度線って「38度ラインにない」って聞いた時には驚きました!この事実、恥ずかしながら店主は知りませんでした。その他にも現地に行かないと知らない情報がたくさんで興味深々で色々と質問もしちゃいました。
ソウルから離れていくにつれ風景がどんどん殺風景になっていきます。
ちょっと見にくいですが、写真下の部分の黒い線が電流が流れている有刺鉄線。この川は北朝鮮と繋がっているので、流れを利用して昔は人々が侵入してきたそうです。
リアルにみると、ちょっと重たい・・・。
約1時間程度移動したところで休憩を兼ねた最初の観光場所に到着しました。
IMJINGAK
韓国の方が来ることができる最北端の場所。北と南で別れ別れになった家族がこの最北端の場所にきて相手を想うと言われています。
分裂についての写真。
自由の橋。北へつながる鉄橋。
もちろん今は使われていません。
自由の橋へつながる道、最終地点。願いが書かれた布がたくさんありました。
とても歴史がある場所ですが、遊園地もレストランもあるパーキングエリアとなっています。
軍人さんのマスコット。グッズも売られていました。
マウンテンデュー発見!
車からバスに乗り換えて次の目的地へ出発です。
検問所通過
この先からは他のツアーと合流しました。
ひとクラス分くらいの人数の参加者さんが既に乗っていました。かなりの多国籍!様々な言葉が飛び交ってました。
ここからがツアー本番です。
DMZに入る為にはまず検問所を通ります。軍人さんがバスに乗り込み、1人1人パスポートチェック。ココからは韓国人は入ることができません。韓国人ガイドさんは特別なカードを持っていました。
検問過ぎたらOKが出るまで写真もNG。検問所を通過するとのどかな風景が続いていました。このエリアは統一村といって民間人が住んでいるエリア。検問所内にあるのでソウルなどお出かけするときには毎回検問を受ける必要があるそうです。現在は稼働していないケソン工業団地へと続く道もありました。
このあと、本当は、北朝鮮が見える「都羅展望台」に行く予定でしたが、今回のツアーでは中止。グアムへの挑発があったあの日です。ピリついた時にはこのように中止になるそうです。仕方ないですがちょっと残念。
そして今回のメインの目的地に到着しました。
DMZ
なんとPOPな色使い(笑)
ピリピリしたムードかと思いきや、全くそんな様子はありませんでした。
まずはDMZの資料映像を日本語訳付きで見ました。
朝鮮戦争の歴史、休戦調停について、DMZのこと、北朝鮮が何度も挑発していること、そして朝鮮半島の今後の展望について。中でも衝撃的だったのが、北朝鮮は休戦中も地下にトンネルを掘って韓国へ侵入しようと試みたということです。
ダイナマイトを差し込み掘り進めていく。
全ては手作業。
トンネルは4つ見つかっていて一番最後の発見が1990年。。。って、そんなに昔じゃない!でも、こんな地下300m以上深いところを掘ってるのになぜトンネルを見つける事ができたの??って不思議ですよね。
なんと北朝鮮からの亡命者が、このトンネル掘りに携わっていて亡命時にそのことを伝え、そして、情報を得た韓国は長い期間をかけてある方法を使ってこれらのトンネルを見つけたそうです。
資料映像を見た後は、その4つのトンネルのうち、第3トンネルを見に行きました。
ずんずん奥底にいくと、突き当りに板がありました。板は一定間隔で、数枚設置されています。何かしら危険があっては危ないということで設置されたそうです。
見えていた最後の板から170m先が北朝鮮領土。近いのに入ることができない土地ってなんだか不思議です。
トンネルから帰ってきたらまた資料館に戻り展示物をみました。
休戦調停のサイン。
帰さざる橋 と 事件があった木。
日本の教科書には載っていないであろう歴史がありすぎました。
説明を聞き終わって、建物周辺を散策。